まめしばミニチュアカーレポート
まめしば自動車研究所からのレポートです。画像をクリックすると拡大します。
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羊の皮を被った狼たち
 私の人生の中で特に印象深いクルマのひとつとして真っ先に挙げるマシン・・・それはスカイラインです。実際に所有したことはないのですが、一番近い存在で言うと4台。

先ずは義兄が乗っていたオレンジ色のKPGC110(ケンメリ)GTR。当時小学5年生だった私は、「このクルマはすごいんだぞ」と言われてもピンときませんでした。というのも、当時はTV番組『西部警察』の中に出てくるマシンXとしてしかスカイラインをしらなかったからなのです。そのドラマの中でケンメリは旧式のクルマとしてカーチェイスで破壊される対象でしたから、私にとってスカイラインとはクロのマシンX、即ちC210ジャパンのターボだったのです。今考えると、あの時はもっと乗せてもらっとくんだったなぁと後悔しております。私は偶然にも、この世にたった197台しか存在しないGTRの助手席に座らせてもらったのです。しかもオールペンで鮮やかなオレンジ色に塗り替えられたばかりのピカピカのケンメリに!!

さて、2台目は、その数年後に実姉が中古で購入した白いC210ジャパン4drです。角目でしたから後期モデルなのは確かなのですがテールが丸目だった以外はあまり印象がありません。トヨタ崇拝者だった亡父が、「そんなクルマ、危ない」とか言って、2ヶ月もしない内に70マークⅡGRの新車に替わってしまいました。

3台目は大学時代、友人が乗っていたRSスカイラインです。確かグレーの「鉄仮面」で、友人は本当は前期モデルなのにワザワザフロントマスクに後期のものを移植したのだと自慢していました。


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R30 die-cast tomy china 1:65

最後は、職場の同僚が乗っていたR32・・・といってもGTS4Dr.で、お決まりのメタリックグレー。そいつは、確か・・・「マイクロロン」?とかいう粉末をEgオイルに添加すると性能がアップするとか言って、私の愛機にも無理やり添加してしまいました。慰安旅行で、そのマシンが出動したのですが、異様に狭い車内に驚愕したのを今でも覚えております。

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R32 plastic tomytech china 1:80

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R32 die-cast tomy china 1:59

さて、今や世果中の人が知るスカイライン。R32~34の様々なレースでの活躍は周知の通りです。R32からのGTRの復活劇は非常にセンセーショナルでしたが、シルエット・フォーミュラRSの活躍やR31GTSRの存在も忘れてはなりません。

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skyline silhoutte formula die-cast tomy japan 1:68

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R31 die-cast tomy china 1:62

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R32 die-cast BOURBON china 1:72

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R33 die-cast tomy japan 1:60

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R34 die-cast tomy china 1:61

2007年、実はスカイラインが登場して50年が経ちました。桜井眞一郎という技術者が常に乗り手との会話を成立させていこうと試みたスカイライン。「会話」といっても直接話をするのではなく、スカイラインという車を介した「あうんの呼吸」・・・それこそが「ものつくりの愛」なのだと信じていたのでしょう。それゆえにスカイラインは数々の伝説をも作り出すことにもなりました。

黎明期

戦後自動車メーカーへの転身を図った、名機「隼」でも有名な立川飛行機は、その工場が北多摩郡にあったことから、1947年「たま電気自動車」という名の自動車を発表すると、社名を「東京電気自動車」と変えますが、朝鮮戦争勃発の煽りを受けてバッテリーに必要な鉛が入手し辛くなると早速ガソリン自動車製作に着手し、戦後初の1.5リッターカーとなるプリンスセダンをリリースした1952年に「プリンス自動車工業」に改名。実は、この名前は、当時、皇太子(現天皇)明仁親王の立太子礼を記念して命名されたもので、その後、皇太子がプリンスセダンや初代スカイラインを愛車にしていたことも有名な話です。

スカイラインDX
PRINCE skyline die-cast china

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PRINCE skyline die-cast tomytech china 1:64

1957年に登場したスカイラインはその5年後、ミケロッティデザインによる「スポーツ」という2ドアクーペをラインアップに加えますが、わずか60台のみ生産されるに留まりました。これは、複雑な話なのですが、初代スカイラインをベースにして登場したグロリアを更にベースにしていて、オープンモデルも存在しました。イタリアンデザインとしても国産第1号となります。ところで、スカイラインスポーツの面構えにはどことなく。「スカイラインらしさ」を感じてしまうのは私だけでしょうか。

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PRINCE skyline sports plastic Furuta china

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PRINCE skyline sports die-cast KONAMI china 1:64

狐の皮を被った狼

プリンスは1963年に2代目スカイラインをリリース。これは1.6リッターモデルでしたが、その年の日本GPで惨敗を喫したことにより、翌年に2代目グロリアに搭載されていた国産初SOHC6気筒G7型エンジン2リッター仕様のGTを加え、第2回日本GPで伝説となるポルシェとのバトルを繰り広げることになります。翌65年にはGTBが発売され、これが後のGTRの前身となったと言われています。

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S54B plastic tomytech china 1:150

さて、1964年5月3日、鈴鹿サーキットで催された第2回日本GP(グランプリ)で生沢徹選手が駆るスカイラインが、式場壮吉選手のポルシェ904GTSを抜き、グランドスタンド前を走り抜けたというのは有名な話ですが。実は、これは当時仲良しだった生沢選手と式場選手が演出したものでした。周回遅れを抜く為にペースを落としたところを抜かれた時、レース前、冗談交じりに「チャンスがあれば1度だけトップを譲ってくれ」と生沢選手話していたのを式場選手が思い出して1週あまりトップを許したというのが本当の話で、結局はその後抜き返したポルシェが優勝しています。そして、翌年、100%レース専用車、プリンスR380がポルシェ906を制して優勝しています。

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S54B die-cast realx china 1:72

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Porsche 904 GTS die-cast kyosho china 1:64

無敵伝説と挫折

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C10 van plastic tomytech china 1:80

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C10 sedan&van die-cast tomytech china 1:64

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C10 coupe die-cast realx china 1:72

日産とプリンスの合併を経て、1968年10月にC10型なるハコスカが登場します。翌69年2月21日には国産車初の4バルブDOHCとなるS20ユニットを搭載したGTRが登場。これはZ432にも搭載されることになります。S20ユニットはレース用にチューンされると、慣性過給で265馬力を発揮するまでになったそうです。70年に2ドアクーペが加わるとGTRも2ドア専用モデルとなります。このGTRは国内のレースで49連勝という記録を打ち出しますが、実はこの50勝目を阻んだ(とは言っても、実際には先頭を走っていたGTRにトラブルが生じたのです。確か47連勝を阻止したのもマツダカペラだったはずです)のがマツダサバンナ(RX-3)でした。ちなみに、4ドアのGTRが832台、2ドアが1113台生産されています。

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PGC10 die-cast realx china 1:72

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PGC10 die-cast BOURBON china 1:72

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KPGC10 die-cast DyDo china 1:64

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KPGC10 die-cast tomy japan 1:62

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KPGC10 die-cast kyosho china 1:100

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RX3 die-cast tomy japan 1:59

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KPGC10 plastic TAIYO china 1:32 RC

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KPGC10 die-cast Targa china 1:64

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KPGC10 die-cast kyosho china 1:64

1972年には、当時日産のアイデンティティーとも採れる抑揚のあるグラマラスなボディ(現在のレベルで見ると小柄ですっきりしています)を纏ったC110ケンメリが登場し、その後のスカイラインの特徴にもなる丸型テールランプが採用されました。GTRも存在しましたが、米国マスキー法の煽り(技術者がレースより対米輸出対策にまわされた)を受けて、既に日産がキャブレターの部品を購入していた分の197台の生産に留まっています。第19回東京モーターショウで参考出品されたゼッケン73番の幻のレース仕様もありました。しかしGTRのレース参戦もなく、1977年、ケンメリはC210ジャパンにバトンタッチします。

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C110 plastic tomytech china 1:80

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C110 sedan & coupe die-cast realx china 1:72

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KPGC110 die-cast tomy china 1:64

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KPGC110 die-cast realx china 1:72

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KPGC110 plastic TAIYO china 1:32 RC

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KPGC110 die-cast tomy china 1:47

グラマラスだった先代に比べてシャープでシンプルな印象を受けるGC-210、通称ジャパンのメカニズムは先代から引き継いだものが多く、かなり熟成されていました。この車まではハコスカから伝統の「サーフィンライン」も健在で、丸型テール・コンビネーションもサイズが4つとも統一された他は配色も先代と同じでした。排ガス規制の影響をまともに受けたスカイラインの歴史はここからGTのラインナップからRが落ち、非力なイメージがまとわりつきましたが、雰囲気はちっとも損なわれず、『西部警察』というTVドラマのマシンXとしても大活躍しました。

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C210 plastic tomytech china 80

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C210 die-cast tomy china 1:65

日産の小型車作り

チョコエッグ サニトラ
Sunny truck plastic Furuta china

スカイライン以外で私の心に残っている自動車のひとつに、子供の頃従姉に乗せてもらったB110サニーがあります。いわゆる「サニトラ」と呼ばれるサニートラックは最近まで製造されていたのか、いまだに現役で使用されているのを見かけますが、私が言っているのは、その大元のモデルで、無駄のないデザインを採用したクーペのことです。この2代目サニーはその大人しい外観からは創造できないのですが、実は登場から10年以上も1300ccクラスでのレースに君臨し、スカイラインGTR(KPGC10)よりレーシングカーの資質を持ったマシンだと絶賛されていました。販売面ではカローラ相手に苦戦したものの、ノンシンクロ(直結式:発進の時以外はクラッチを切らずにシフトチェンジできる)5速ミッションと組み合わされるA12エンジンはOHVながら83ps(GX5)を誇り、レースでは逆にカローラに大きく溝を開ける速さで「技術の日産」をアピールしていました。

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Sunny 1200 die-cast tomy japan 1:56

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Sunny 1200 die-cast tomy china 1:56

しかし、この頃の日産の車は、サニーというベーシックカーですらFRで、初のFF車、チェリーは1970年、サニーと同じA10、A12エンジンを横置きにして、小型車への更なる技術的アプローチを探る形で登場しました。当時、FFと言えばホンダかスバルが先駆けでしたが、このチェリーも完成度は高く後のパルサーまでの系統を作っていくことになります。FFのメリットはスペース効率が高いこととパワートレーン(エンジン・ミッション・デフ)をユニット化できることで生産コストを下げることが挙げられます。今や、逆にFRがマイナーな存在になっている状況は周知の通りです。

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