まめしばミニチュアカーレポート
まめしば自動車研究所からのレポートです。画像をクリックすると拡大します。
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ホンダイズム HONDAISM
2輪から4輪への進出

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Cub plastic

ホンダの代名詞とも言える「スーパーカブ」が発売されたのが1958年。この高性能50cc2輪車はノークラッチである上セルモーター搭載で誰でも運転できるバイクとして老若男女問わず需要を生み出して大ヒットしました。この成功がなかったら、ホンダは4輪へ進出できなかったと言われています。

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honda F1 plastic gurico china

1964年8月、まだ、4輪の世界では駆け出しだったホンダは、他のマシンより1オクターブ高い排気音から「ホンダミュージック」の異名を持つV12、1500cc横置きエンジンをゼッケン20番RA272に積みニュルブルクリンクF1GPで完走を果たしました。そして、翌年にはリッチー・ギンサーが駆るゼッケン11番RA272でメキシコGPで優勝を飾っています。

マン島レースでの2輪GPでの成功を知るホンダは、4輪もヨーロッパのメーカーと同じようにレースで名声を得てから車を売ろうとした点で、他の国産メーカーと一線を隔していました。当時、自動車業界では、例えばトヨタにしても日産にしても、先ずタクシー運転手に取材をし、クラウンやセドリックを開発、その後にコロナやブルーバードを出すという流れが常識的だった様です。三菱にいたっては、技術力に物を言わせ、とりあえず流行りそうな車をリリースする「車好きがいないメーカー」とモータージャーナリストの徳大寺有恒氏は著書の中でおっしゃっています。徳大寺氏によれば、ホンダ(実際には本田宗一郎氏)は「車が好きなメーカー」ということです。

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Honda S600 die-cast DyDo china 1:64

かくして、1962年、軽トラックのT360で4輪進出を果たしたホンダでしたが、その翌年にS500というオープン・スポーツをリリースしています。これは、東京モーターショーで話題を振り撒いたS360がパワー不足だったということで排気量をアップしての登場となったのですが(ちなみにS360のDOHCエンジンがT360に搭載されていました)、総アルミ製のAS型500ccエンジンで、675kgの車体を44馬力で引っ張りました。しかし、それでもパワー不足を否めなかったホンダは、翌年には100ccの排気量をプラスし57馬力まで引き上げたS600を発売。このときにはクローズド・ハッチバック・クーペもラインナップされました。排気量アップはこれに留まらず、1966年には更に200ccアップのS800にまで発展。70馬力のエンジンは最高速度160km、ゼロヨンにいたっては16.9秒をマークしています。また、ニュルブルクリンクにてS800を駆った生沢徹が、日本人ドライバーとして初めて表彰台に立ちました。

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Honda S800 plastic Furuta china

さて、話題の「チェーン・ドライブ」の話ですが、実はこの車にはFR車として常識的なプロペラシャフトもドライブシャフトも存在していて、その先にトレーリング・アームとしての役割も果たすチェーン内臓ケースを持っていたことから、「バイクの4輪車版」という噂が起った様です。デフから伸びたドライブシャフトで直接タイヤを駆動するのではなく、シャフト側、タイヤ側にそれぞれスプロケットを設けチェーンで駆動していました。そのカバー(ハウジング)がトレーリングアームの様に上下に動いたので、ちょうどカブを2台並行に並べたイメージがあったのでしょう。この「チェーン・ドライブ」も、加速時のリアの持ち上がりと振動を押さえる為に、1968年にオーソドックスなリジッド・アクスルに変更されました。最終型のS800Mは1970年まで生産が続けられました。

大衆車としてブレイク

真似を徹底的に嫌った本田宗一郎氏が、ローバーミニを真似(あるいは参考に)したという疑惑を今も残しているN360。F1での成功の下に、1967年に登場したN360は若者たちの心をつかんで大ヒットとなり、それまで主に2輪車の利益で経営が成り立っていたホンダを名実共に4輪新出へと導きました。

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N360 die-cast KONAMI china 1:64

その後もZ、ライフ、バモスを輩出しますが、厳しくなってきた排ガス規制に対応する為に軽自動車の生産を1974年に中止して、12年後のトゥディの登場まで沈黙を守ります。ところで、そのN360には、その後のホンダ車の特徴ともなる背が低く幅広い、サスペンションストロークが短く固いという評価の原因となるエピソードも伝えられています。N360は当時、よく横転事故を起こしたので、「欠陥車」の烙印を押され訴訟問問題にまで発展したという経緯があり、その後、開発陣が高重心でロールする車を恐れたということなのです。

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Z die-cast tomy japan 1:38

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Honda Z die-cast KONAMI china 1:64

NT360 VAMOS
TNⅢ360&VAMOS die-cast tomy japan 1:54

初の乗用車N360で成功を収めたホンダが次に手がけたのが1300クーペです。この車にはアルファロメオやアルピーヌを凌ぐ世界最強の1.3リッターを目指した強制空冷エンジンが搭載されていました。強制空冷とはエンジンの外殻の上に更に別の外殻が設けられていて、その隙間に空気を流して冷却するシステムのことで、当時のF1と同じ一体式二重構造を採用しており100~115psを発揮しました。しかし、他社が水冷エンジンを搭載している中で騒音などの問題から本田宗一郎の意志に反して後期モデルでは水冷化(排気量も1450ccへ変更)されます。

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Honda 1300 die-cast tomy japan 1:60

ホンダの4輪進出にだめ押しをしたのが、シビックの登場でした。そのネーミングは「シビルミニマム」から取ったもので、1974年の登場と共にたちまちヒットを飛ばし、やはり空前のヒット作となるアコードやプレリュードが派生します。かつてF1を「走る実験場」と呼んでいたホンダはシビックに搭載されたCVCCエンジンにもレーシングエンジンのノウハウを惜しみなく注ぎ込み「層状燃焼」を実現しています。考えてもみれば、コンパクトカーやミニバンでも先駆けとなったホンダの起源はスーパーカブですから、ホンダのスポーツ・マッチョ的なイメージとは裏腹に常に「日常の足」としての車作りに勤しんでいるというのが本来のホンダイズムなのでしょう。

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CIVIC die-cast tomy japan 1:42

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PRELUDE die-cast Diapet japan 1:40

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CIVIC COUNTRY die-cast tomy japan 1:59

2輪メーカーから出発したホンダは、自転車屋より若干規模が大きいだけの「モーター屋」で委託販売をしていただけでしたが、大人気のシビックのために長い行列ができたといいます。そして、この頃から、店頭販売を重視するメーカーとしても有名になり、後年トヨタのディーラーマンも視察に出かけた程でした。

傑作、ホンダシティへ

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