まめしばミニチュアカーレポート
まめしば自動車研究所からのレポートです。画像をクリックすると拡大します。
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トヨタウェイ TOYOTA-WAY
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TOYODA AA die-cast tomy china

トヨタのイメージ

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EX7 die-cast tomy china 1:62

トヨタのイメージは「堅実」。要は真面目さが溢れているわけなのですが、かつてはこの様な独特なクルマを作っていたのだということを忘れてはなりません。それどころか、その脈々と受け継がれてきたスポーツマインドは様々なモータースポーツの世界で活躍しているマシンたちを見れば一目瞭然なのです。

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publica die-cast tomytech china 1:64

例えば、典型的な大衆車(パブリックカー)パブリカのスポーツスペシャリティ、トヨタスポーツ800。この車の流線デザインは実に特徴的で、その元になったパブリカの直線調デザインとは正反対のものでした。ところで、このパブリカは、後にパブリカスターレットとして後のKP61までの系統を輩出していく元になります。

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TOYOTA S800 die-cast BOURBON china 1:72

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TOYOTA S800 die-cast DyDo china 1:64

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S800 die-cast REALX china 1:72

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KP61 die-cast KONAMI china 1:64

国産唯一のボンドカー

映画007のボンドカーとして使用されたことのある唯一の国産車、トヨタ2000GT。生産台数が337台と少ない中で、2000GTのオープンモデルは映画で使用されたもの1台のみといわれています。

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TOYOTA 2000GT die-cast kyosho china 1:72

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TOYOTA 2000GT die-cast CORGI china

スーパーカーとしての名声

トヨタ2000GTは1967年5月から1970年10月まで発売されていましたが、途中マイナーチェンジを受けて埋め込み式のフォグ(?)ランプのサイズが小さくなっています。これはミニチュアカーの世界でも区別されていて、トミカで当初発売されていたモデルが後期型なのに対して、後にリミテッドモデルとして発売されたものは初期型となっています。しかし、大抵のモデルが初期型で、こちらの方が有名になっているようです。

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TOYOTA 2000GT die-cast Epoch china 1:72

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TOYOTA 2000GT die-cast BOURBON china 1:72

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TOYOTA 2000GT die-cast tomy japan 1:60

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TOYOTA 2000GT die-cast tomy japan 1:60

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TOYOTA 2000GT die-cast tomy china 1:60

さて、本物の話に戻りますが、とにかく値段が高かったことでも有名で、66年のカローラが約43万円だったのに対して、238万円(発表当時)もしました。しかし、ダブルウィッシュボーン&4輪ディスクという足回り、更にLSDやマグネシウムホイール(後期:前期は美しいワイヤースポーク)も搭載し、内装にも桜の単板を磨き上げたものが使用されていたなど、現在のレベルで見ても十分以上な装備でしたから。妥当な価格なのでしょう。エンジンはグループのヤマハが担当。実際には車両もヤマハが担当していたとのことです。DOHC、3Mエンジンは150馬力を搾り出し、最高速度は220kmに達しました。実はFIA規定の13の世界新記録を樹立したモデルだったのです!ちなみにリトラクタブルヘッドライトは日本初でした。

トヨタ2000GTは、そのフォルムがジャグアEタイプに似ていることでも取りざたされるのですが、実際に2台のミニチュアカーを並べてみると確かに流線を基本にしたロングノーズ&ショートデッキスタイルは共通していますが、全く別物の車に見えます。ミニジャグアと称されるトヨタ2000GTは、様々な記録を作ったことで性能面でジャグアに差をつけているかもしれません。

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TOYOTA 200GT&Jaguar Etype die-cast kyosho china 1:64

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Jaguar E type die-cast YatMing china 1:43

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TOYOTA 2000GT die-cast MINICHAMP china 1:43

ところで、この車の生産中止から4ヵ月後、コロナをベースにした1600GTが発売されています。

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TOYOTA 1600GT die-cast DyDo china 1:64

「T」を名乗る兄弟達

「世界一周を仮定して選ぶクルマ」として挙げられる2トップ、1台目はもちろんメルセデスのエステート。もう1台はなんと!カローラなのです。理由は、納得、どの国にも整備工場があるからだそうです。2006年、そのカローラが誕生して40周年を迎えました。どの車種にも言えることなのですが、車自体も年々大きくなり、様々なバリエーションを用意してきたカローラも、ある意味転換期を迎えたのかもしれません。

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Corolla die-cast NOREV china 1:43

さて、私にとって、カローラと言えば、すぐさま頭に浮かぶモデルが、やはりスポーティモデルだったレビン。中でもTE27とAE86は新旧の時代の若者たちの心を捕らえてきました。この型式を知らない人でも、実車をご覧になれば、「あぁ、このクルマか」とピンとくるはずです。

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TRUENO AE86 die-cast BOURBON china 1:72

1970年、初代セリカに搭載され華々しくデビューを飾った名機「2TG」は、直列4気筒1.6リッターOHVをご多分に漏れずヤマハがDOHC化したもので、最高出力115馬力と最大トルク14.5kgを誇りました。このコンパクトなDOHCエンジンはその後、71年にはカリーナGTに搭載され、72年に2代目カローラ1400SRをベースにしたレビン、即ちTE27に搭載され一世を風靡します。それは単(ひとえ)に、そのコストパフォーマンスにあったと言っていいでしょう。2TGが初めて搭載されたセリカが当時87.5万円したのに比べ、レビンは81.3万円と安く、車重もセリカより85kgも軽かったのです。

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celica die-cast BOURBON china 1:72

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LEVIN die-cast Epoch china 1:72

初代セリカは、MS50クラウンの「スピンドル・シェイプ」を更に洗練したデザインで、「スペシャリティー・クーペ」という発想を引き下げてデビューしました。TA22という型式が物語るようにT系エンジンを搭載しているのは前述しました。このエンジンはOHV1407ccをベースにしていますが、1588ccの2TエンジンのヘッドをDOHCとした2T―Gは、トヨタ1600GTに搭載されていたR型に換わる心臓として開発されました。ちなみにセリカと双子のカリーナ(TA17)は「カジュアルセダン」というコンセプトでセリカと同時に開発されていますが、目的とは裏腹にハードトップの方が売れました。このセリカ・カリーナの弟分としてTA27レビンが生まれたわけです。

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CELICA LB die-cast tomy china 1:60

レビンにはトレノという姉妹車が存在します。TE27から並行して生産されてきましたが、最初はレビンより上級志向のデザインだったようです。これは初代カローラから派生したカローラスプリンターが2代目からスプリンターとして独立したことに起因していますが、この後はカローラレビン、スプリンタートレノという区別がされます。ちなみに、レビンは「稲妻」、トレノは「雷鳴」という意味が込められたネーミングだということです。

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SPRINTER die-cast tomy japan 1:59

3代目になるとレビンはハードトップ、トレノはクーペという差別化が図られ、型式もそれぞれTE37、TE47と区別されました。1975年には排ガス規制の煽りを受け一時消滅したレビン、トレノでしたが、1977年にTE51、TE61として復活、その後5代目TE71でモデルの統合化、部品の共有化が進み、1983年に他のカローラファミリーがFF化された時、AE86は唯一のFRモデルとしてデビューすることとなったのです。このとき「A」という型式が意味するものは、レビン・トレノが別のエンジン、4Aを搭載したということなのです。

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LEVIN die-cast tomy japan 1:59

最近ではレビン、トレノと言うと、ぱっと頭に浮かぶのがこのAE86でしょう。コミック「頭文字(イニシャル)D」で主役が駆るマシンとしても86トレノ(レビンと違うリトラクタブルヘッドライトが特徴)は中高生の間で人気を博しています。このコミック関連の商品も数多く販売されているので、ついつい散財してしまいます。

セガ トレノ
AE86 TRUENO plastic SEGA china 1:32

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ホンダイズム HONDAISM
2輪から4輪への進出

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Cub plastic

ホンダの代名詞とも言える「スーパーカブ」が発売されたのが1958年。この高性能50cc2輪車はノークラッチである上セルモーター搭載で誰でも運転できるバイクとして老若男女問わず需要を生み出して大ヒットしました。この成功がなかったら、ホンダは4輪へ進出できなかったと言われています。

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honda F1 plastic gurico china

1964年8月、まだ、4輪の世界では駆け出しだったホンダは、他のマシンより1オクターブ高い排気音から「ホンダミュージック」の異名を持つV12、1500cc横置きエンジンをゼッケン20番RA272に積みニュルブルクリンクF1GPで完走を果たしました。そして、翌年にはリッチー・ギンサーが駆るゼッケン11番RA272でメキシコGPで優勝を飾っています。

マン島レースでの2輪GPでの成功を知るホンダは、4輪もヨーロッパのメーカーと同じようにレースで名声を得てから車を売ろうとした点で、他の国産メーカーと一線を隔していました。当時、自動車業界では、例えばトヨタにしても日産にしても、先ずタクシー運転手に取材をし、クラウンやセドリックを開発、その後にコロナやブルーバードを出すという流れが常識的だった様です。三菱にいたっては、技術力に物を言わせ、とりあえず流行りそうな車をリリースする「車好きがいないメーカー」とモータージャーナリストの徳大寺有恒氏は著書の中でおっしゃっています。徳大寺氏によれば、ホンダ(実際には本田宗一郎氏)は「車が好きなメーカー」ということです。

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Honda S600 die-cast DyDo china 1:64

かくして、1962年、軽トラックのT360で4輪進出を果たしたホンダでしたが、その翌年にS500というオープン・スポーツをリリースしています。これは、東京モーターショーで話題を振り撒いたS360がパワー不足だったということで排気量をアップしての登場となったのですが(ちなみにS360のDOHCエンジンがT360に搭載されていました)、総アルミ製のAS型500ccエンジンで、675kgの車体を44馬力で引っ張りました。しかし、それでもパワー不足を否めなかったホンダは、翌年には100ccの排気量をプラスし57馬力まで引き上げたS600を発売。このときにはクローズド・ハッチバック・クーペもラインナップされました。排気量アップはこれに留まらず、1966年には更に200ccアップのS800にまで発展。70馬力のエンジンは最高速度160km、ゼロヨンにいたっては16.9秒をマークしています。また、ニュルブルクリンクにてS800を駆った生沢徹が、日本人ドライバーとして初めて表彰台に立ちました。

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Honda S800 plastic Furuta china

さて、話題の「チェーン・ドライブ」の話ですが、実はこの車にはFR車として常識的なプロペラシャフトもドライブシャフトも存在していて、その先にトレーリング・アームとしての役割も果たすチェーン内臓ケースを持っていたことから、「バイクの4輪車版」という噂が起った様です。デフから伸びたドライブシャフトで直接タイヤを駆動するのではなく、シャフト側、タイヤ側にそれぞれスプロケットを設けチェーンで駆動していました。そのカバー(ハウジング)がトレーリングアームの様に上下に動いたので、ちょうどカブを2台並行に並べたイメージがあったのでしょう。この「チェーン・ドライブ」も、加速時のリアの持ち上がりと振動を押さえる為に、1968年にオーソドックスなリジッド・アクスルに変更されました。最終型のS800Mは1970年まで生産が続けられました。

大衆車としてブレイク

真似を徹底的に嫌った本田宗一郎氏が、ローバーミニを真似(あるいは参考に)したという疑惑を今も残しているN360。F1での成功の下に、1967年に登場したN360は若者たちの心をつかんで大ヒットとなり、それまで主に2輪車の利益で経営が成り立っていたホンダを名実共に4輪新出へと導きました。

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N360 die-cast KONAMI china 1:64

その後もZ、ライフ、バモスを輩出しますが、厳しくなってきた排ガス規制に対応する為に軽自動車の生産を1974年に中止して、12年後のトゥディの登場まで沈黙を守ります。ところで、そのN360には、その後のホンダ車の特徴ともなる背が低く幅広い、サスペンションストロークが短く固いという評価の原因となるエピソードも伝えられています。N360は当時、よく横転事故を起こしたので、「欠陥車」の烙印を押され訴訟問問題にまで発展したという経緯があり、その後、開発陣が高重心でロールする車を恐れたということなのです。

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Z die-cast tomy japan 1:38

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Honda Z die-cast KONAMI china 1:64

NT360 VAMOS
TNⅢ360&VAMOS die-cast tomy japan 1:54

初の乗用車N360で成功を収めたホンダが次に手がけたのが1300クーペです。この車にはアルファロメオやアルピーヌを凌ぐ世界最強の1.3リッターを目指した強制空冷エンジンが搭載されていました。強制空冷とはエンジンの外殻の上に更に別の外殻が設けられていて、その隙間に空気を流して冷却するシステムのことで、当時のF1と同じ一体式二重構造を採用しており100~115psを発揮しました。しかし、他社が水冷エンジンを搭載している中で騒音などの問題から本田宗一郎の意志に反して後期モデルでは水冷化(排気量も1450ccへ変更)されます。

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Honda 1300 die-cast tomy japan 1:60

ホンダの4輪進出にだめ押しをしたのが、シビックの登場でした。そのネーミングは「シビルミニマム」から取ったもので、1974年の登場と共にたちまちヒットを飛ばし、やはり空前のヒット作となるアコードやプレリュードが派生します。かつてF1を「走る実験場」と呼んでいたホンダはシビックに搭載されたCVCCエンジンにもレーシングエンジンのノウハウを惜しみなく注ぎ込み「層状燃焼」を実現しています。考えてもみれば、コンパクトカーやミニバンでも先駆けとなったホンダの起源はスーパーカブですから、ホンダのスポーツ・マッチョ的なイメージとは裏腹に常に「日常の足」としての車作りに勤しんでいるというのが本来のホンダイズムなのでしょう。

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CIVIC die-cast tomy japan 1:42

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PRELUDE die-cast Diapet japan 1:40

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CIVIC COUNTRY die-cast tomy japan 1:59

2輪メーカーから出発したホンダは、自転車屋より若干規模が大きいだけの「モーター屋」で委託販売をしていただけでしたが、大人気のシビックのために長い行列ができたといいます。そして、この頃から、店頭販売を重視するメーカーとしても有名になり、後年トヨタのディーラーマンも視察に出かけた程でした。

傑作、ホンダシティへ

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フェアレディZの歴史
ichiko Znet

フェアレディへの道程

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DATCAR plastic Furuta china

橋本増次郎が1911年に東京に「改進自働車工場」を設立(「働」は間違いではなく、「自動車」とは言っていなかったのです)、その出資者となった3人、田健次郎、青山禄郎、竹内明太郎の名字の頭文字をとって付けた「DAT」号が博覧会に出品されたのが大正3年です。大正15年、「ダット自動車製造社」となったとき、『DATの息子』という意味のDAT・SONから、「損に聞こえるのは良くない」として、太陽が昇るイメージを持たせながら「SUN」に変更したのが「ダットサン」の始まりです。これは、ちょうど、スポンサーの娘の名前を車につけたことから、いまだに「メルセデス」として世界的に有名なダイムラー・ベンツ(現ダイムラー・クライスラー)社と同じ手法とも言えます。


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DATSUN no.1 die-cast tomy japan 1:49

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DATSUN sports die-cast china

1936年登場のダットサン・セダンDA型にオープンボディを載せ1952年に発売されたダットサン・スポーツ(DC3)の流れを汲むダットサン・フェアレディがアメリカで発売されたのが1960年10月。初めて「フェアレディ」を名乗ったSP211Lは海外専用モデルで「L」が左(left)を意味するように左ハンドル仕様(つまり輸出専用)しかなく、そのベースとなった2代目ダットサンスポーツS211(右ハンドル・国内専用)は何とFRPボディをまとっており、わずか20台ほどの販売で生産が終了しています(その型式名からも想像できる様にダットサンP210のコンポーネンツを流用したもので、この手法は次代のSP310でも用いられました)。

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DATSUN SPORTS die-cast realx china 1:72

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FAIRLADY1200 die-cast realx china 1:72

初代フェアレディは、ダットサン1000のシャシーに載せていたS211のFRPボディをスチール化したものでした。

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Bluebird 310 plastic Furuta china

2年後日本でも1.5リッター、80馬力の3代目フェアレディ(SP310)がリリースされました。67年にはエンジンを145馬力を発生する2リッターにアップ、そして、安全性への配慮からクローズドボディを纏ったS30へと続きます。このSP310というナンバーも初代ブルーバード(P310)と共通です。ちなみに、それまで型式しかつかなかった国内のダットサンに初めて呼び名がついたのがブルーバードといわれていますが、フェアレディという名は、これに先駆けて国外モデルSP211Lにつけられたことになり、やはり米国自動車ブランドの車名を付ける習慣からの影響は否めません。こうして見るとフェアレディのブルーバードとの深い関わりは、その誕生から始まっていたと言えるでしょう。

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FAIRLADY1500(日本第1回GP優勝車) die-cast realx china 1:72

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FAIRLADY2000 die-cast realx china 1:72

ついでですが、1965年登場の初代シルビアの型式名もCSP311で、これは1500ccから100ccアップしたSP311のクーペバージョンという背景があるからです。「S」が「スポーツ」、「C」は「クーペ」でしょうか。とすると、クローズドボディのフェアレディへの布石はS30登場以前に行なわれていたことになります。ちなみに、この初代シルビアのデザインはBMW507のドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツから助言を受けており、現在見ても秀悦な美貌を誇っています。

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silvia die-cast KONAMI china 1:64

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BMW507 die-cast new ray china 1:43


究極の貴婦人

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Z S30 die-cast DyDo china 1:64

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Z S30 die-cast tomy japan 1:45

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Z S30 die-cast Mettel malaysia

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S30 die-cast delprado china 1:43

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Z S30(モンテカルロ・ラリー仕様) die-cast BOURBON china 1:72

このS30には2つのエンジンが用意されていて、L20型という130馬力を発生するやや大人し目のSOHCエンジンを搭載するノーマルとタイプとZ432と呼ばれる4バルブ、3キャブ、2カムを奢ったS20型DOHCエンジン搭載車がそれです。Z432は160馬力を誇り、ゼロヨンタイムは15.8秒、最高速度は210km/hに達しました(ちなみに、日産ではS30Zのリリース後もSR311を併売していました)。

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Z S30 die-cast tomy japan 1:60

また、同時期にアメリカで好評を得ていたL24ユニットを搭載した240Zも71年から日本でも販売されて、このモデルに特徴的なグランド・ノーズもZカーを語るのに欠かせないモデルとなりました。

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Z S30 die-cast tomy japan 1:60

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Z S30 die-cast tomy china 1:60

そして後部座席を設けて、若干ルーフを延長した2by2は74年に追加されて、他のモデルと共に1975年まで生産されます。

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Z S31 2by2 die-cast realx china 1:72

さて、このS30Zに搭載された2種類のエンジンL型とS型ですが、GTRに搭載されたS20(2リッターDOHC)搭載車、いわゆるZ432は、鈴鹿300kmで本家GTRを引き離すポテンシャルを誇っていたものの、後に北米バージョンとして投入されたL24(2.4リッターSOHC)搭載車、240Zの速さには及びませんでした。最も高効率なパワーアップ=排気量増加という時代にあっては、基本メカニズムの応用範囲が広く壊れにくかったL型に分があったのでしょう。セドリックやグロリアに搭載されたL20を応用して1.3リッターから2.8リッターディーゼルまでカバーしていたL型エンジンの中でも510ブルーバードに搭載されたL16と、そのエンジンのボア&ストロークのまま気筒数を4から6に増やしただけのL24は日産のモータースポーツでの活躍に欠かせない心臓でした。実は、240Zがモータースポーツの世界で早々頭角を現すのも、それまで既に活躍していた510ブルーバードのレーシングパーツがそのまま流用できたという背景があるのです。

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Z S30(鈴鹿300km仕様) die-cast realx china 1:72

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Bluebird 510 die-cast tomy china 1:60

Zカーと言えば、その開発の中心人物でもあったミスターKとしても全米のZ愛好家達の神様的存在、片山豊氏を忘れることはできません。1909年生まれの片山さんは、1960年から77年まで米国日産に勤め、65年からは同社の社長としてもダットサンの地位を確固たるものにしてきました。ところで、このアルファベットの最後の文字として「究極」「頂点」をも意味する「Z」の名の由来は、片山氏が北米への出張の際、兄から手渡された「Z旗」ということはよく知られています。また、片山氏がデザイン担当の松尾良彦氏に送ったのも、この「Z旗」でした。この「Z旗」は日露戦争中、海軍が決死の覚悟で勝利を収めた際に掲げた旗でした。

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片山豊氏

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Z旗

その発音からドイツ車と間違われることもしばしば、実際ダットサン210や310(初代ブルーバード)の評判も悪かったのですが、小さな販売店での委託販売で始まったダットサンの歴史は510ブルーバードのヒットで一気に盛り上がりを見せました。1965年には、この510が国産車では初めて、全米輸入車販売台数第5位にランクインを果たします。ちなみに、510ブルーバードは410で不評だったピリンファリーナの丸みを帯びたデザインから「スーパーソニックライン」という直線基調のデザインで大ブレイクし、その売れ様は本来「スーパー・スポーツ・セダン」というSSSを「スマート・セーフティ・セル」と読んだほどです。

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Bluebird 510 plastic china

さらにZカーの登場は、ダットサンの地位を揺るぎないものにし、月産6000台のセールスを記録します。このZカー人気は衰えを知らず、現在でも米国には40を越えるZ愛好会ガ存在します。更に米国日産は、古い240Zを徹底解体、内燃機関から外内装まで完全にリビルドした「ヴィンテージZカー」を2万5千ドルで月に10台程度販売しています。

スカイラインとの差別化の問題

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130 die-cast tomy china 1:61

2代目Z(S130)への進化は、外見を見て分かる通り、初代Zをグリルレスにした様なキープコンセプト、正統進化ということがはっきりしています。私の記憶に残っているZイメージはやはりドラマ『西部警察』「でスーパーZ」として登場する、このS130の姿なのです。

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西部警察 plastic GEORGIA china

パッと見た感じは240ZGの進化版?といった感じで違和感はあまりありませんでしたが、3代目のZ31からはメカニズム的にも一新されていくことになります。

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Z31 die-cast tomy japan 1:43

Z、あるいはフェアレディ史上最初で最後のリトラクタブル・ヘッドランプの採用やV6エンジンの搭載などが顕著な変化ですが、エンジンについては日本専用モデルとしてRB20DET(直6ターボ)を搭載したZRが途中で加わっていることも忘れてはならないでしょう。

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Z31 die-cast tomy japan 1:43

しかし、その後はスカイラインには直6、ZにはV6という差別化が図られ、惜しくもZはスカイラインの影の存在としてZ32を最後に2000年に一旦消滅します。

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Z32 die-cast kyosho china 1:100

その後、2年の沈黙を破って、ルノーのカルロス・ゴーン社長の指揮で新生日産の象徴としてZ33がデビュー。世界が総V型エンジン化する流れの中で、スカイラインすらV6搭載のみとなってしまうのには何か運命のようなものも感じ得ません。

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Z33 die-cast kyosho china 1:100

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Z33 R34 plastic takara china 1:64

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Z33 R34 plastic takara china 1:64

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羊の皮を被った狼たち
 私の人生の中で特に印象深いクルマのひとつとして真っ先に挙げるマシン・・・それはスカイラインです。実際に所有したことはないのですが、一番近い存在で言うと4台。

先ずは義兄が乗っていたオレンジ色のKPGC110(ケンメリ)GTR。当時小学5年生だった私は、「このクルマはすごいんだぞ」と言われてもピンときませんでした。というのも、当時はTV番組『西部警察』の中に出てくるマシンXとしてしかスカイラインをしらなかったからなのです。そのドラマの中でケンメリは旧式のクルマとしてカーチェイスで破壊される対象でしたから、私にとってスカイラインとはクロのマシンX、即ちC210ジャパンのターボだったのです。今考えると、あの時はもっと乗せてもらっとくんだったなぁと後悔しております。私は偶然にも、この世にたった197台しか存在しないGTRの助手席に座らせてもらったのです。しかもオールペンで鮮やかなオレンジ色に塗り替えられたばかりのピカピカのケンメリに!!

さて、2台目は、その数年後に実姉が中古で購入した白いC210ジャパン4drです。角目でしたから後期モデルなのは確かなのですがテールが丸目だった以外はあまり印象がありません。トヨタ崇拝者だった亡父が、「そんなクルマ、危ない」とか言って、2ヶ月もしない内に70マークⅡGRの新車に替わってしまいました。

3台目は大学時代、友人が乗っていたRSスカイラインです。確かグレーの「鉄仮面」で、友人は本当は前期モデルなのにワザワザフロントマスクに後期のものを移植したのだと自慢していました。


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R30 die-cast tomy china 1:65

最後は、職場の同僚が乗っていたR32・・・といってもGTS4Dr.で、お決まりのメタリックグレー。そいつは、確か・・・「マイクロロン」?とかいう粉末をEgオイルに添加すると性能がアップするとか言って、私の愛機にも無理やり添加してしまいました。慰安旅行で、そのマシンが出動したのですが、異様に狭い車内に驚愕したのを今でも覚えております。

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R32 plastic tomytech china 1:80

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R32 die-cast tomy china 1:59

さて、今や世果中の人が知るスカイライン。R32~34の様々なレースでの活躍は周知の通りです。R32からのGTRの復活劇は非常にセンセーショナルでしたが、シルエット・フォーミュラRSの活躍やR31GTSRの存在も忘れてはなりません。

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skyline silhoutte formula die-cast tomy japan 1:68

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R31 die-cast tomy china 1:62

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R32 die-cast BOURBON china 1:72

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R33 die-cast tomy japan 1:60

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R34 die-cast tomy china 1:61

2007年、実はスカイラインが登場して50年が経ちました。桜井眞一郎という技術者が常に乗り手との会話を成立させていこうと試みたスカイライン。「会話」といっても直接話をするのではなく、スカイラインという車を介した「あうんの呼吸」・・・それこそが「ものつくりの愛」なのだと信じていたのでしょう。それゆえにスカイラインは数々の伝説をも作り出すことにもなりました。

黎明期

戦後自動車メーカーへの転身を図った、名機「隼」でも有名な立川飛行機は、その工場が北多摩郡にあったことから、1947年「たま電気自動車」という名の自動車を発表すると、社名を「東京電気自動車」と変えますが、朝鮮戦争勃発の煽りを受けてバッテリーに必要な鉛が入手し辛くなると早速ガソリン自動車製作に着手し、戦後初の1.5リッターカーとなるプリンスセダンをリリースした1952年に「プリンス自動車工業」に改名。実は、この名前は、当時、皇太子(現天皇)明仁親王の立太子礼を記念して命名されたもので、その後、皇太子がプリンスセダンや初代スカイラインを愛車にしていたことも有名な話です。

スカイラインDX
PRINCE skyline die-cast china

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PRINCE skyline die-cast tomytech china 1:64

1957年に登場したスカイラインはその5年後、ミケロッティデザインによる「スポーツ」という2ドアクーペをラインアップに加えますが、わずか60台のみ生産されるに留まりました。これは、複雑な話なのですが、初代スカイラインをベースにして登場したグロリアを更にベースにしていて、オープンモデルも存在しました。イタリアンデザインとしても国産第1号となります。ところで、スカイラインスポーツの面構えにはどことなく。「スカイラインらしさ」を感じてしまうのは私だけでしょうか。

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PRINCE skyline sports plastic Furuta china

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PRINCE skyline sports die-cast KONAMI china 1:64

狐の皮を被った狼

プリンスは1963年に2代目スカイラインをリリース。これは1.6リッターモデルでしたが、その年の日本GPで惨敗を喫したことにより、翌年に2代目グロリアに搭載されていた国産初SOHC6気筒G7型エンジン2リッター仕様のGTを加え、第2回日本GPで伝説となるポルシェとのバトルを繰り広げることになります。翌65年にはGTBが発売され、これが後のGTRの前身となったと言われています。

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S54B plastic tomytech china 1:150

さて、1964年5月3日、鈴鹿サーキットで催された第2回日本GP(グランプリ)で生沢徹選手が駆るスカイラインが、式場壮吉選手のポルシェ904GTSを抜き、グランドスタンド前を走り抜けたというのは有名な話ですが。実は、これは当時仲良しだった生沢選手と式場選手が演出したものでした。周回遅れを抜く為にペースを落としたところを抜かれた時、レース前、冗談交じりに「チャンスがあれば1度だけトップを譲ってくれ」と生沢選手話していたのを式場選手が思い出して1週あまりトップを許したというのが本当の話で、結局はその後抜き返したポルシェが優勝しています。そして、翌年、100%レース専用車、プリンスR380がポルシェ906を制して優勝しています。

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S54B die-cast realx china 1:72

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Porsche 904 GTS die-cast kyosho china 1:64

無敵伝説と挫折

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C10 van plastic tomytech china 1:80

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C10 sedan&van die-cast tomytech china 1:64

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C10 coupe die-cast realx china 1:72

日産とプリンスの合併を経て、1968年10月にC10型なるハコスカが登場します。翌69年2月21日には国産車初の4バルブDOHCとなるS20ユニットを搭載したGTRが登場。これはZ432にも搭載されることになります。S20ユニットはレース用にチューンされると、慣性過給で265馬力を発揮するまでになったそうです。70年に2ドアクーペが加わるとGTRも2ドア専用モデルとなります。このGTRは国内のレースで49連勝という記録を打ち出しますが、実はこの50勝目を阻んだ(とは言っても、実際には先頭を走っていたGTRにトラブルが生じたのです。確か47連勝を阻止したのもマツダカペラだったはずです)のがマツダサバンナ(RX-3)でした。ちなみに、4ドアのGTRが832台、2ドアが1113台生産されています。

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PGC10 die-cast realx china 1:72

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PGC10 die-cast BOURBON china 1:72

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KPGC10 die-cast DyDo china 1:64

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KPGC10 die-cast tomy japan 1:62

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KPGC10 die-cast kyosho china 1:100

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RX3 die-cast tomy japan 1:59

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KPGC10 plastic TAIYO china 1:32 RC

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KPGC10 die-cast Targa china 1:64

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KPGC10 die-cast kyosho china 1:64

1972年には、当時日産のアイデンティティーとも採れる抑揚のあるグラマラスなボディ(現在のレベルで見ると小柄ですっきりしています)を纏ったC110ケンメリが登場し、その後のスカイラインの特徴にもなる丸型テールランプが採用されました。GTRも存在しましたが、米国マスキー法の煽り(技術者がレースより対米輸出対策にまわされた)を受けて、既に日産がキャブレターの部品を購入していた分の197台の生産に留まっています。第19回東京モーターショウで参考出品されたゼッケン73番の幻のレース仕様もありました。しかしGTRのレース参戦もなく、1977年、ケンメリはC210ジャパンにバトンタッチします。

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C110 plastic tomytech china 1:80

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C110 sedan & coupe die-cast realx china 1:72

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KPGC110 die-cast tomy china 1:64

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KPGC110 die-cast realx china 1:72

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KPGC110 plastic TAIYO china 1:32 RC

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KPGC110 die-cast tomy china 1:47

グラマラスだった先代に比べてシャープでシンプルな印象を受けるGC-210、通称ジャパンのメカニズムは先代から引き継いだものが多く、かなり熟成されていました。この車まではハコスカから伝統の「サーフィンライン」も健在で、丸型テール・コンビネーションもサイズが4つとも統一された他は配色も先代と同じでした。排ガス規制の影響をまともに受けたスカイラインの歴史はここからGTのラインナップからRが落ち、非力なイメージがまとわりつきましたが、雰囲気はちっとも損なわれず、『西部警察』というTVドラマのマシンXとしても大活躍しました。

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C210 plastic tomytech china 80

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C210 die-cast tomy china 1:65

日産の小型車作り

チョコエッグ サニトラ
Sunny truck plastic Furuta china

スカイライン以外で私の心に残っている自動車のひとつに、子供の頃従姉に乗せてもらったB110サニーがあります。いわゆる「サニトラ」と呼ばれるサニートラックは最近まで製造されていたのか、いまだに現役で使用されているのを見かけますが、私が言っているのは、その大元のモデルで、無駄のないデザインを採用したクーペのことです。この2代目サニーはその大人しい外観からは創造できないのですが、実は登場から10年以上も1300ccクラスでのレースに君臨し、スカイラインGTR(KPGC10)よりレーシングカーの資質を持ったマシンだと絶賛されていました。販売面ではカローラ相手に苦戦したものの、ノンシンクロ(直結式:発進の時以外はクラッチを切らずにシフトチェンジできる)5速ミッションと組み合わされるA12エンジンはOHVながら83ps(GX5)を誇り、レースでは逆にカローラに大きく溝を開ける速さで「技術の日産」をアピールしていました。

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Sunny 1200 die-cast tomy japan 1:56

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Sunny 1200 die-cast tomy china 1:56

しかし、この頃の日産の車は、サニーというベーシックカーですらFRで、初のFF車、チェリーは1970年、サニーと同じA10、A12エンジンを横置きにして、小型車への更なる技術的アプローチを探る形で登場しました。当時、FFと言えばホンダかスバルが先駆けでしたが、このチェリーも完成度は高く後のパルサーまでの系統を作っていくことになります。FFのメリットはスペース効率が高いこととパワートレーン(エンジン・ミッション・デフ)をユニット化できることで生産コストを下げることが挙げられます。今や、逆にFRがマイナーな存在になっている状況は周知の通りです。

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